塙忠宝(読み)はなわ ただとみ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塙忠宝」の解説

塙忠宝 はなわ-ただとみ

1808*-1863* 江戸時代後期の国学者
文化4年12月8日生まれ。塙保己一(ほきいち)の4男。文政5年(1822)和学講談所御用掛となり,編修事業につくす。老中安藤信正の依頼による外国人待遇の式例調査を,廃帝前例をしらべたと誤伝され,暗殺された。犯人伊藤俊輔(博文),山尾庸三とされる。文久2年12月22日死去。56歳。江戸出身。名は別に瑶。通称次郎。号は温古堂

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「塙忠宝」の解説

塙忠宝 (はなわただとみ)

生年月日:1807年12月8日
江戸時代末期の和学者
1863年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の塙忠宝の言及

【群書類従】より

塙保己一編の叢書。正編1270種530巻666冊,続編2103種1150巻1185冊からなる日本最大の叢書。正編は,1779年(安永8)に保己一がその編纂・出版のため,天満宮に心経百万巻読誦の誓願をしてから,1819年(文政2)に全冊の刊行を終えるまで,実に41年の歳月を費やした,畢世(ひつせい)の大業。その完成までには,幕府による援助をはじめ,蔵書を提供した幕府紅葉山文庫や伊勢神宮林崎文庫のほか,大名,公家,寺院など,各方面の協力を必要とした。…

【和学講談所】より

…江戸時代,塙保己一の建てた,和学ことに国史律令の講究編纂を目的とした学舎。和学所ともいう。1793年(寛政5),江戸麴町の裏六番丁の宅地を借りて幕府の許可を得て創立,95年4ヵ所の町屋敷からの年々の上納金50両を下付され雑費に充当することになり,また和学御用筋は林大学頭支配が定まった。前から続行中の《続群書類従》の編集が続けられたが,1805年(文化2)表六番丁に移転し,毎年金60両の経費で〈史料〉と《武家名目抄》の編集も業務とした。…

※「塙忠宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む