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塙忠宝 はなわ ただとみ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

塙忠宝 はなわ-ただとみ

1808*-1863* 江戸時代後期の国学者。
文化4年12月8日生まれ。塙保己一(ほきいち)の4男。文政5年(1822)和学講談所御用掛となり,編修事業につくす。老中安藤信正の依頼による外国人待遇の式例調査を,廃帝の前例をしらべたと誤伝され,暗殺された。犯人は伊藤俊輔(博文),山尾庸三とされる。文久2年12月22日死去。56歳。江戸出身。名は別に瑶。通称は次郎。号は温古堂。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

塙忠宝

没年:文久2.12.22(1863.2.10)
生年:文化4.12.8(1808.1.5)
江戸後期の和学者。塙保己一の4男として江戸表六番町に生まれた。通称次郎,名は瑶,温故堂と号す。忠宝は大学頭林述斎 の命名。保己一の長男,次男は夭折し,3男は養子となったので,文政4(1821)年保己一の死の翌5年9月,16歳の若さで跡を嗣いだ。以後41年にわたって和学講談所を経営,『史料』『武家名目抄』『続群書類従』の編纂に努めた。晩年,老中安藤信正の委嘱により幕府が寛永以前に外国人を遇した式例を調査したが,これが廃帝の前例を調査したと誤って伝えられ,勤王家の怒りを買って,文久2(1863)年12月21日,伊藤博文,山尾庸三に襲われ,翌日死亡した。<参考文献>斎藤政雄「塙次郎(忠宝)小伝」(『温故叢誌』27号)

(飯倉洋一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の塙忠宝の言及

【群書類従】より

塙保己一編の叢書。正編1270種530巻666冊,続編2103種1150巻1185冊からなる日本最大の叢書。正編は,1779年(安永8)に保己一がその編纂・出版のため,天満宮に心経百万巻読誦の誓願をしてから,1819年(文政2)に全冊の刊行を終えるまで,実に41年の歳月を費やした,畢世(ひつせい)の大業。その完成までには,幕府による援助をはじめ,蔵書を提供した幕府紅葉山文庫や伊勢神宮林崎文庫のほか,大名,公家,寺院など,各方面の協力を必要とした。…

【和学講談所】より

…江戸時代,塙保己一の建てた,和学ことに国史律令の講究編纂を目的とした学舎。和学所ともいう。1793年(寛政5),江戸麴町の裏六番丁の宅地を借りて幕府の許可を得て創立,95年4ヵ所の町屋敷からの年々の上納金50両を下付され雑費に充当することになり,また和学御用筋は林大学頭支配が定まった。前から続行中の《続群書類従》の編集が続けられたが,1805年(文化2)表六番丁に移転し,毎年金60両の経費で〈史料〉と《武家名目抄》の編集も業務とした。…

※「塙忠宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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