日本歴史地名大系 「塙田村」の解説 塙田村はなわだむら 栃木県:宇都宮市塙田村[現在地名]宇都宮市本町(ほんちよう)・昭和(しようわ)一―三丁目・塙田一―五丁目・東塙田(ひがしはなわだ)一―二丁目・千波町(せんなみまち)・栄町(さかえちよう)・宮町(みやまち)・今泉(いまいずみ)二―三丁目北は大曾(おおぞ)村・戸祭(とまつり)村、東は田(た)川を境に今泉村、南は宇都宮城下の町々、西は釜(かま)川を境に日光街道新田(しんでん)町。西部は八幡山(はちまんやま)丘陵に続くなだらかな台地、東部には平坦な田園地帯が広がる。地名の由来は、八幡山の岩膚が田の中に突き出ていたことによると伝える。永享一〇年(一四三八)に書写された義科見聞(日光天海蔵)に「宇都宮塙田談所」とみえ、当地に関東天台の談義所があった。なお芳宮山縁起(東大史料編纂所蔵)によれば、法然に帰依した宇都宮頼綱は、帰国後の建保三年(一二一五)一月下旬、御室観音堂の地に常念仏堂を造営し、塙田村の五〇貫の地を不断念仏相続料として寄進したという。元徳元年(一三二九)には宇都宮氏綱が常念仏堂を当村の寺町の下新宿に移し、先の寄進を取消し、改めて当村の一〇〇石を寄進したという。その後文明―永正(一四六九―一五二一)の頃に堂宇はすべて廃退したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by