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宇都宮頼綱 うつのみやよりつな

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宇都宮頼綱
うつのみやよりつな

[生]承安2(1172)?
[没]正元1(1259).11.12?
鎌倉時代の武将,歌人。下野宇都宮の豪族。成綱の子。出家して蓮生,小倉入道ともいう。北条時政の女婿。元久2 (1205) 年閏7月,平賀朝雅の将軍擁立を策した時政の陰謀事件に関連したかどで,北条義時は8月7日頼綱を討とうとしたが,彼は陰謀には無関係の旨の書状を義時に献じ,下野で出家し,陳謝のため鎌倉の義時邸へ参向した。

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デジタル大辞泉の解説

うつのみや‐よりつな【宇都宮頼綱】

[1172~1259] 鎌倉前期の武将・歌人。妻は北条時政の娘。謀反の嫌疑を受けて出家し、蓮生(れんしょう)と号す。出家後は京都に住み藤原定家と親交、宇都宮歌壇の礎を築く。  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇都宮頼綱 うつのみや-よりつな

1172-1259 鎌倉時代の武将,歌人。
承安(じょうあん)2年生まれ。宇都宮朝綱の孫。下野(しもつけ)(栃木県)宇都宮城主。北条時政の娘婿。牧の方の陰謀にくわわったとうたがわれ出家。のち京都にすみ証空の弟子となる。藤原定家と親交をむすび,十三代集のほとんどに歌がえらばれている。正元(しょうげん)元年11月12日死去。88歳。通称は弥三郎。法名は蓮生。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宇都宮頼綱

没年:正元1.11.12(1259.12.26)
生年:治承2?(1178)
鎌倉時代の武将,歌人。法名蓮生。宇都宮成綱の子。祖父朝綱の公田掠領の罪に連座して配流されるがまもなく許され,若くして鎌倉幕府有力御家人宇都宮氏の当主となり,北条時政の女婿となった。しかし,元久2(1205)年,時政の後妻牧の方の平賀朝雅将軍擁立事件の際嫌疑を受けたため出家,異心なきを示し許された。こののち浄土教に帰依,弟の信生(塩谷朝業)と共に法然の高弟証空の弟子となり,西山教団と深くかかわる。宇都宮氏の財力を背景に往生院の再興や法然の遺骨護持などに尽力,一方幕府による寺院造営にも加わるが,主として京に住む。藤原定家と結び,その娘は定家の嫡男為家の室となるなど,御子左家と連携。嵯峨中院に山荘を営みその障子和歌を定家に依頼したものが,いわゆる百人一首かとされる。その八十賀には為家らが詠進。蓮生,信生らのこのような京都歌壇とのかかわりが,宇都宮歌壇という特異な文化圏の形成をもたらした。自身も『新勅撰集』以下の勅撰集に39首入集。宇都宮歌壇の『新和歌集』入集数は集中最多。定家の『明月記』にその子宇都宮泰綱の「厳父」とある。<参考文献>外村展子『鎌倉の歌人』

(田渕句美子)

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世界大百科事典 第2版の解説

うつのみやよりつな【宇都宮頼綱】

1172‐1259(承安2‐正元1)
鎌倉前期の武士。成綱の子。弥三郎,法名蓮生,西山実信房と号す。宇都宮検校。北条時政の女婿。1205年(元久2)北条時政の陰謀に加わった嫌疑がかかるが,本領宇都宮において郎従60余人とともに出家し,鎌倉に出向き髻(もとどり)を献じて許される。その後は多く京都に住み,法然の弟子証空に師事。また和歌に秀で藤原定家と親交を結び,定家の嫡子為家に女を嫁がせた。【稲葉 伸道】

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大辞林 第三版の解説

うつのみやよりつな【宇都宮頼綱】

1172~1259) 鎌倉時代の武将。下野しもつけ国宇都宮の豪族。妻は北条時政の娘。法名、蓮生。入道後京都に住み藤原定家と交わり宇都宮歌壇の礎を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇都宮頼綱
うつのみやよりつな
(1172―1259)

鎌倉前期の武将。下野(しもつけ)国(栃木県)宇都宮の豪族。宇都宮検校(けんぎょう)。業綱(なりつな)の子。通称弥三郎、実信房蓮生(じっしんぼうれんじょう)と号す。父の早世後若くして幕府に出仕した。1194年(建久5)祖父朝綱(ともつな)の公田押領(こうでんおうりょう)事件に連座して豊後(ぶんご)国(大分県)に流罪、数年にして帰国し家督を継ぎ、北条時政(ときまさ)の女(むすめ)を娶(めと)る。1205年(元久2)時政の妻牧の方(まきのかた)の陰謀事件に参画し謀反との嫌疑を受け、弁明もかなわず宇都宮にて剃髪(ていはつ)入道した。入道後浄土教に心を傾け、法然(ほうねん)の弟子証空(しょうくう)に師事し、西山往生院(せいざんおうじょういん)、善峯寺(よしみねでら)の再興に尽力した。嫡子泰綱(やすつな)の成人を待ち、京都に居を移し、息女の嫁した藤原為家(ためいえ)の父定家(ていか)との親交を深め、若年以来の歌道に精進し、宇都宮歌壇の礎(いしずえ)を築いた。[永村 眞]

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