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寺内町 じないまち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寺内町
じないまち

中世末期から近世初期に成立発展した人為的な集落で,おもに浄土真宗の寺院を中心に形成された。防衛体制を整えた集落の一種で,中心となる寺院は要害堅固な地形のところを選んだり,寺域の周囲に土塁や石塁などをめぐらしたものが多い。

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デジタル大辞泉の解説

じない‐ちょう〔‐チヤウ〕【寺内町】

戦国時代、浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した集落。周りに土居を巡らし、濠(ほり)を掘って他宗派や領主の攻撃に備えた。大坂の石山本願寺、越前の吉崎などが有名。

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百科事典マイペディアの解説

寺内町【じないまち】

室町〜戦国時代浄土真宗日蓮宗寺院の境内を中心に形成された門前町。当時本願寺は他宗派や諸大名と争っていたが,自派の僧侶(そうりょ)や門徒を守るため,寺域の周囲に堀をめぐらした特殊な町をつくった。
→関連項目今井大阪[市]金森加納加納市本福寺三河一向一揆山科

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世界大百科事典 第2版の解説

じないちょう【寺内町】

戦国・近世初期において寺院の境内として成立した都市をいう。寺院がうける特権を利用して都市を建設したもので,真宗寺院に多く,日蓮宗にもみられた。これらは戦国動乱の時代にふさわしく,濠,土居などで防御された囲郭都市であり,内部は寺院を中心に整然たる都市計画がなされている場合が多い。寺内町の早い例は,蓮如による越前吉崎御坊で,山上に多屋(田屋,他屋)が立ち並んだが,寺内町としての形態はまだ不十分であった。

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大辞林 第三版の解説

じないちょう【寺内町】

中世後期、一向宗寺院を中心として形成された町。摂津の石山本願寺、和泉の貝塚、河内の富田林とんだばやし、越前の吉崎など。じないまち。

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日本の地名がわかる事典の解説

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寺内町
じないまち

戦国時代の前半につくられた人為的な町。浄土真宗の寺院を中心とし、その周りに土塁や堀などの防衛施設が整えられ、さらにその外周に町屋的なものが集まっていたもので、近世城下町の原初的なものとされる。寺院を中心とした防衛都市であるので門前町と区別される。その始まりは越前(えちぜん)(福井県)の吉崎(よしざき)(あわら市)で、初期の寺院は丘陵北端の要害の地(国指定史跡―吉崎御坊(ごぼう)跡)が選ばれ、その麓(ふもと)の低地には「他屋(たや)」という長屋が設けられ、鍛冶(かじ)、大工などの職人の町屋もできていた。寺内町の造営は、寺院の主導によるもの、戦国土豪の城地寄進によるもの、門徒集団によるものなどに分けられる。人文地理的位置は水陸交通の要地にあたっていて物資流通の拠点たりうる可能性のある地区に選ばれているのも特色である。戦国時代には一向一揆(いっこういっき)の拠点となっていたが、その衰微に伴って衰え、近世に入ると信仰中心の門前町に変容した。越中(えっちゅう)(富山県)の井波(いなみ)、城端(じょうはな)、古国府(ふるこう)(高岡市伏木(ふしき))、山城(やましろ)(京都府)の山科(やましな)、摂津(せっつ)(大阪府)の石山(旧大坂城)、枚方(ひらかた)、和泉(いずみ)(大阪府)の貝塚、富田林(とんだばやし)、大和(やまと)(奈良県)の高田などがその好例である。[浅香幸雄]

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世界大百科事典内の寺内町の言及

【一向一揆】より

…この期の一向一揆は,法主の命による軍事動員(具足懸(ぐそくかけ))の場合が多く,これは,本願寺教団自体が上部権力と結びつきながら一つの政治的・軍事的勢力として確立してきたことと,法主を頂点とする集権的な教団組織が形成されてきたことを示す。 またこの時期には,畿内各地に本願寺の御坊・寺院を中心に寺内町が形成される。16世紀中葉以前に,名塩,石山,富田(以上摂津),招提,枚方,出口,久宝寺(以上河内),貝塚(和泉),今井,下市,飯貝(以上大和),山科(山城)などが設立され,少しおくれて59年(永禄2)に富田林(河内)が設立される。…

【金沢[市]】より

…1546年(天文15)本願寺は,ここに阿弥陀如来をまつる金沢御堂(みどう)を建立,金沢御坊(ごぼう)が成立した。御坊内には近江町,堤町,西町,後町(うしろちよう)の,いわゆる寺内町を立てた。80年(天正8)金沢御坊をおとした佐久間盛政は,ここをそのまま城下町としたが,83年前田利家が入城すると,金沢を尾山と改め,近世的城下町の建設を始めた。…

【河内国】より

…手工業生産の発達にうながされ,地方都市の発展も著しい。河内では一向宗の教線の伸張に伴って出口,枚方,招提(しよだい),久宝寺,富田林,長曾根,金田などの寺内町が形成された。久宝寺は近世の絵図から推定すると周囲に二重の濠と土居をめぐらし,6ヵ所の出入口には木戸門と番所が設けられていた。…

【楽市令】より

…楽市令は大別して次の2種に分けられる。ひとつは,15,16世紀に新しく登場した地方市場で,寺内町(じないちよう)に代表されるような,すでに,楽市場として存在していた市場に,その楽市の機能を保証した,いわば保証型楽市令である。この型に属する楽市令としては,織田信長の永禄10年(1567)美濃加納あて楽市令,元亀3年(1572)近江金森あて楽市令,後北条氏の天正13年(1585)相模荻野あて楽市令などがある。…

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