塚崎城下(読み)つかざきじようか

日本歴史地名大系 「塚崎城下」の解説

塚崎城下
つかざきじようか

[現在地名]武雄市武雄町武雄

塚崎城下は、武雄村のうち後藤氏家臣武家屋敷のあった御船みふね山山麓の小路くうじと称する範囲。

寛永一五年(一六三八)に栗原心斎が編纂し享保一三年(一七二八)に成松治右衛門が増補した塚崎後藤氏の正史といわれる「藤山考略」(武雄鍋島家文書)によると塚崎城は二代後藤資茂が元永年中(一一一八―二〇)御船山北麓にあった武雄神社を東麓に移転させてその跡に築き、塚崎御船山城と称したとある。だが塚崎後藤氏一七代の職明までは居城したという記録はない。実際には塚崎城および住吉すみよし(現杵島郡山内町宮野)が築城されたのは、「藤山考略」に大永六年(一五二六)武雄川の堤を築き、ささ川を分流して内堀とした旨の記述があるところから、この時点であろうと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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