日本歴史地名大系 「塚崎城跡」の解説 塚崎城跡つかざきじようあと 佐賀県:武雄市武雄村塚崎城跡[現在地名]武雄市武雄町武雄武雄市の中央部、御船(みふね)山北面の中腹から山麓にかけてあった塚崎城は御船山城、後藤山城ともいわれた。築城の年代は塚崎後藤氏の正史といわれる「藤山考略」(武雄鍋島家文書)には、武雄領主二代後藤資茂が元永年中(一一一八―二〇)に、武雄神社を御船山北麓から東麓に移転させて、その跡に築城したとある。だが一七代職明までは居城したという記録はない。応安四年(一三七一)一二月五日の橘薩摩公世軍忠状(小鹿島文書)に「於潮見山初構城、致合戦、同二十三日寄武雄之城」とみえるが江戸中期の「武雄社本紀」(武雄神社蔵)の上編には塚崎古城と武雄古城とが記載されており、「塚崎古城は御船山舳岳北面。武雄古城は下宮の丘の上にあり、武雄社本司の拠るところ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by