日本歴史地名大系 「塩古墳群」の解説 塩古墳群しおこふんぐん 埼玉県:大里郡江南町塩村塩古墳群[現在地名]江南町塩滑(なめ)川・和田(わだ)川の上流域は、比企丘陵特有の高燥で狭長な沖積地が発達しており、当古墳群が立地する狸塚(むじなつか)・荒井(あらい)・西原(にしはら)・諸(もろ)ヶ谷(やつ)・明賀台(みようがだい)・丸山(まるやま)・栗崎(くりさき)の丘陵は両河川の分水嶺をなす。標高七〇―八〇メートルの地に七支群七五基の古墳が分布し、四世紀中頃を始まりとして、五世紀代は不詳だが六―七世紀代まで継続する。中心支群の狸塚は県指定史跡、前方後方墳二・方墳二四で構成される一群で、最も見晴しのよい狸塚の丘陵上に位置している。平成五年(一九九三)の発掘調査によると、主墳の狸塚一号墳は長さ三六メートル、高さ三・八メートルの前方後方墳で、北側周溝から四世紀の土器とみられる壺の一部が出土。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by