塩谷簣山(読み)しおのや きざん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塩谷簣山」の解説

塩谷簣山 しおのや-きざん

1812-1874 江戸時代後期の儒者
文化9年5月10日生まれ。塩谷宕陰(とういん)の弟。塩谷青山(せいざん)の父。医学をおさめ,のち松崎慊堂(こうどう)に儒学をまなぶ。老中水野忠邦(ただくに)に登用され,文久3年幕府儒官,慶応2年甲府徽典館(きてんかん)督学となった。明治7年9月10日死去。63歳。江戸出身。名は誠。字(あざな)は誠之。通称は量平,修輔。別号に晩翠園。著作に「西遊簿」「叢語」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「塩谷簣山」の解説

塩谷 簣山 (しおのや きざん)

生年月日:1812年6月18日
江戸時代;明治時代漢学者;幕府儒官
1874年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の塩谷簣山の言及

【塩谷宕陰】より

…江戸後期の儒者。江戸の人。名は世弘,字は毅侯,通称は甲蔵。宕陰は号。昌平黌に学び,のち松崎慊堂(こうどう)に師事し浜松藩主水野忠邦の儒官となる。忠邦が幕府の老中となって天保の改革を推進すると,顧問として忠邦に助言した。忠邦の失脚後も浜松藩中に重きをなし,禄200石に至った。折からアヘン戦争の風聞が伝わり,ペリーが米艦を率いて浦賀に来航するなど,欧米諸国による侵略を恐れて日本の朝野では議論が沸いたが,宕陰は《阿芙蓉彙聞(あふよういぶん)》や《籌海私議(ちゆうかいしぎ)》を著して海防の必要を説いた。…

※「塩谷簣山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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