増谷くら(読み)マスタニ クラ

20世紀日本人名事典 「増谷くら」の解説

増谷 くら
マスタニ クラ

大正・昭和期の教育者 夙川学院副学院長。



生年
明治29(1896)年7月28日

没年
昭和57(1982)年3月5日

出生地
兵庫県三木市

旧姓(旧名)
川崎

学歴〔年〕
増谷女学校補習科〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
産業教育功労者表彰〔昭和29年〕,兵庫県教育功労者表彰〔昭和42年〕,短期大学教育功労者表彰〔昭和55年〕,勲五等瑞宝章

経歴
増谷裁縫女学校の創立者・増谷かめの養女養母が経営する増谷女学校の専攻科・補習科に学ぶ。6年同校を卒業してすぐに母校教諭となり、養母とともに増谷式和裁の普及と教育に尽した。大正11年に養母が没したのちは、学校の理事としても活躍。昭和11年同校を増谷高等女学校に改称したが、20年の戦災校舎消失。戦後、兵庫県芦屋の夙川に学園を移転し、23年に夙川学院高等学校とした。以来、校長である夫の義雄を助けて学園の再興と発展に努力し、40年には夙川学院短期大学を設立してその家政科講師(のち教授)に就任。44年には夙川学院副学院長・同名誉教授となった。55年短期大学教育功労者として表彰。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増谷くら」の解説

増谷くら ますたに-くら

1896-1982 大正-昭和時代の教育者。
明治29年7月28日生まれ。神戸の増谷裁縫女学校の創始者増谷かめの養女。大正6年母校増谷女学校の教師となり,増谷式和裁教育にうちこむ。昭和26年夙川(しゅくがわ)学院理事,41年同学院短大教授,44年副学院長となった。昭和57年3月5日死去。85歳。兵庫県出身。旧姓は川崎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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