壬生雅久(読み)みぶ・まさひさ

朝日日本歴史人物事典 「壬生雅久」の解説

壬生雅久

没年永正1.11.22(1504.12.28)
生年:生年不詳
室町時代の官人,壬生家15代当主。父は官務晴富。応仁の乱中,文明4(1472)年主殿頭から左大史,官務に任ぜられた。この職務は経験と豊富な知識がないと務まらないのに,はじめは父晴富が西軍にとどめられ,指導を受けられず,資料もなく苦労したようである。繊細な心を持ち詩文を作り,吉田兼倶の『日本書紀神代巻談義を聴講し,それを細川政元に講じたこともあった。延徳3(1491)年従四位上,翌明応1年正四位上に昇ったが,同3年以降同族大宮長興・時元父子の強力な官務・氏長者職奪回策に負け,晩年は不幸であった。日記『雅久宿禰記』がある。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「壬生雅久」の解説

壬生雅久 みぶ-まさひさ

?-1504 室町時代の官吏
壬生晴富(はれとみ)の子。文明4年(1472)官務の職をつぎ,氏長者となる。同族の大宮長興(ながおき)の圧力で,晩年その子大宮時元に官務,氏長者職をゆずった。永正(えいしょう)元年11月22日死去。日記に「雅久宿禰(すくね)記」。

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