朝日日本歴史人物事典 「壬生雅久」の解説
壬生雅久
生年:生年不詳
室町時代の官人,壬生家15代当主。父は官務晴富。応仁の乱中,文明4(1472)年主殿頭から左大史,官務に任ぜられた。この職務は経験と豊富な知識がないと務まらないのに,はじめは父晴富が西軍にとどめられ,指導を受けられず,資料もなく苦労したようである。繊細な心を持ち詩文を作り,吉田兼倶の『日本書紀』神代巻の談義を聴講し,それを細川政元に講じたこともあった。延徳3(1491)年従四位上,翌明応1年正四位上に昇ったが,同3年以降同族の大宮長興・時元父子の強力な官務・氏長者職奪回策に負け,晩年は不幸であった。日記『雅久宿禰記』がある。
(飯倉晴武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報