ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュテファン3世」の意味・わかりやすい解説
シュテファン3世(大公)
シュテファンさんせい[たいこう]
Stefan III, cel Mare
[没]1504.8.2.
モルドバ公 (在位 1457~1504) 。ボグダン2世の子。父が謀殺された (51) あと,トランシルバニアに避難。ワラキアの援助で帰国,即位。下級貴族と自由農民に依拠して大貴族の反対を押え,中央集権体制を確立。外交対策においてはまずポーランドの宗主権下に入り,ハンガリーに対抗。 1467年マーチャーシュ1世コルウィヌスと戦って勝利を収めた。次いでモンゴル人を敗走させ (70) ,ワラキアを攻略 (73~74) 。しかしこの間にワラキアの宗主国オスマン帝国と衝突するにいたり,一時は勝利を収めた (75) が,西ヨーロッパ諸国の援助が得られず,結局,92年進貢して和を結んだ。晩年にはポーランド王ヤン・オルブラフトの遠征軍をハンガリー,オスマン帝国と結んで撃破 (97) ,独立を守った。しかし公国の独立は長続きせず,シュテファンの死後まもなくオスマン帝国の支配下に入った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報