朝日日本歴史人物事典 「壬生晴富」の解説
壬生晴富
生年:応永29(1422)
室町時代の官人,壬生官務家14代当主。官務左大史晨照の子。法名道秀,多宝院と号す。応永33(1426)年叙爵元服後,家例たる民部少輔,主殿頭,造東大寺次官を経て左大史となり,応仁2(1468)年父のあとを受けて官務に補せられた。応仁・文明の乱のとき,理由は不明だが西軍にあり,文明4(1472)年に東軍側にいた嗣子雅久に官務職を譲ったが,官務に精通した晴富は雅久を助けて家職を守った。同14年正四位上に叙せられ,延徳2(1490)年には壬生家として初めて治部卿に任ぜられた。生涯をかけて同族の大宮長興と官務・氏長者職を争い,家領の確保に努力し一流を維持したほか,相伝文書を守るために文庫修復に奔走し,幕府の援助を得た。著作に『続神皇正統記』『建武三年以来記』があるほか,日記『晴富宿禰記』がある。
(飯倉晴武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報