壮猶館跡(読み)そうゆうかんあと

日本歴史地名大系 「壮猶館跡」の解説

壮猶館跡
そうゆうかんあと

[現在地名]金沢市広坂一丁目

柿木畠かきのきばたけ南東にあった加賀藩の洋式諸学校中最初のもの。館名は詩経小雅采の「克壮其猶」からとられた(加能郷土辞彙)。嘉永六年(一八五三)柿木畠にあった篦倉が廃され、西洋流火術方役所が設けられた。この建物は安政元年(一八五四)一月着工、八月竣工、壮猶館と名付けられた。学科は当初、砲術・合図であったが、医学・航海測量・洋算・馬術喇叭なども取入れられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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