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馬術 バジュツ

6件 の用語解説(馬術の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ば‐じゅつ【馬術】

馬を乗りこなす術。オリンピック競技では、馬場馬術(ドレッサージュ)・障害飛越(ひえつ)(ジャンピング)・総合馬術(イベンティング)の3種目がある。

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百科事典マイペディアの解説

馬術【ばじゅつ】

馬に乗り,これをあやつる技術。ユーラシア大陸の草原地帯の民族の間で発達したものと考えられ,のち西欧で貴族の趣味としても発達した。日本には4世紀末ころに大陸より騎馬の風習が伝わり,6世紀には広まった。
→関連項目曲馬遊佐幸平

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世界大百科事典 第2版の解説

ばじゅつ【馬術】

馬に乗り,馬を御する技術で,本来は軍用として生まれたものであるが,現在では純粋なスポーツとして行われている。広義には,キツネ狩りなどの狩猟,ポロ競馬なども馬術に含まれる。日本には笠懸(かさがけ),打毬(だきゆう),母衣引(ほろひき),流鏑馬(やぶさめ)など儀式用に保存されているものもあるが,これらは〈古式馬術〉と称し,スポーツとしての馬術競技とは区別される。
[沿革]
 前4千年紀にユーラシア大陸の草原地帯に住む民族が馬を家畜化したと考えられているが,当時の馬は使役用で,乗用ではなかった。

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大辞林 第三版の解説

ばじゅつ【馬術】

馬を乗りこなす術。 「 -競技」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馬術
ばじゅつ

馬術競技」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馬術
ばじゅつ

馬に乗り、馬を御する術。本来は軍用の技術で、現在は純粋の競技スポーツとして行われている。日本の馬術は、古くから弓射の法と結び付いた騎射として発展し、陸戦の際にもっとも重んぜられた武技であった。(1)鞍(くら)(騎坐(きざ))、鐙(あぶみ)(膝(ひざ)、脚)、手綱(たづな)、鞭(むち)、縄、音声などを扶助として、馬を自分の思うように乗りこなす騎乗術、(2)戦場における軍馬術、(3)儀礼用あるいは競技的な馬術、などを含む。[渡邉一郎]

日本における歴史

日本に騎馬の風習が大陸・朝鮮半島経由で伝えられたのは4世紀の末ころで、6世紀に広く諸国に普及したといわれる。平安時代には公卿(くぎょう)・貴顕の間に騎射が好まれ、駒牽(こまびき)、貢馬(こうば)、白馬節会(あおうまのせちえ)、賀茂競馬(かものけいば)などの儀礼的馬術が行われた。源平時代から鎌倉時代にかけて、実戦的馬術が盛んとなった。とくに源頼朝(みなもとのよりとも)は弓馬の道を重んじ、自ら馬術を錬磨するとともに部下の将士にこれを奨励し、しばしば流鏑馬(やぶさめ)や鷹狩(たかがり)を催して馬上の栄誉を与える機会をつくった。そのため鎌倉武士の間には流鏑馬、笠懸(かさがけ)、犬追物(いぬおうもの)のいわゆる馬上三物(みつもの)が愛好された。
 やがて室町時代に入り、こうした実戦的馬術が流派武術として体系化が図られ、新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)以来の源家の伝統的な騎射を伝承してきた小笠原信濃守貞宗(おがさわらしなののかみさだむね)の子政長が幕府の御厩奉行(おうまやぶぎょう)に任じられて騎射の師範家となり、この門から大坪式部大輔慶秀(おおつぼしきぶだいぶすけひで)が出て、軍用馬術に重点を置いた新しい一派を創始した。これが大坪流で、門下に村上秀幸、斎藤芳連、斎藤好玄(よしはる)らの高名な達人を輩出し、やがて佐々木、荒木、上田等の分派の成立をみる。さらに戦国期に入ると、諸大名は競って駿足(しゅんそく)良馬を求めた。
 近世に入り、江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)は大坪流の達人で、戦時必須(ひっす)の武技として馬術を奨励した。諸藩もまた馬術師範を招いて馬術に強い関心を示したため、荒木十左衛門元政(もとまさ)、原田権左衛門種明、上田半平安重、上田吉之丞(きちのじょう)重時ら馬術の大家を輩出し、多くの諸流新流を生じた。寛永(かんえい)(1624~1644)以後、いわゆる箱庭式馬術や拍子乗り馬術が流行した。この傾向は5代将軍綱吉(つなよし)の生類憐(しょうるいあわれ)みの令でいっそう拍車がかけられ、この間20余年のブランクに馬術はまったく萎靡(いび)沈滞した。これに対し、8代将軍吉宗(よしむね)はいわゆる享保(きょうほう)の改革に際し、士風刷新のため武芸を奨励した。とくに馬術において騎射をはじめ流鏑馬、打毬(だきゅう)、笠懸、犬追物、水馬(すいば)など古代馬術の再興を図り、さらに洋馬を輸入し、外国人馬術教師を招いて洋式馬術の伝習や馬種の改良・増殖を計画した。こうした気運にのって台頭したのが、斎藤主税定易(ちからさだやす)(1657―1744)の大坪本流である。当時渡来した朝鮮人の曲馬(きょくば)術を見て啓発され、古伝に新鮮な解釈を加え、馬に関する諸術を集大成して、医・相・常・礼・軍の五馭(ごぎょ)の法を唱え、普及に努めた。
 享保(1716~1736)以後幕末に至る間、武士の退廃に伴って慰み物的な馬術が流行したが、この間松平定信(まつだいらさだのぶ)、水野忠邦(みずのただくに)らの改革期には、江戸・鎌倉間の遠乗り、犬追物・打毬の上覧、小金原の御鹿狩(おししかり)等が催された。黒船来航後は三兵(歩兵・騎兵・砲兵)調練にあわせて急遽(きゅうきょ)洋式馬術の訓練が始められたが、幕府の崩壊と期を同じくして、和流馬術もその終焉(しゅうえん)を迎えるに至った。
 明治時代に入り、1872年(明治5)ころから、フランスやドイツから招聘(しょうへい)した教官によって、西洋鞍の採用、自然歩法への改良など、近代馬術への基礎が形成されていった。その後も馬種の改良とともに、新しいスポーツとしての馬術が奨励され、1899年東京に乗馬会が誕生した。1921年(大正10)国際馬術連盟の創立には日本もこれに参画し、創立8か国に名を連ねた。翌1922年には日本乗馬協会が設立され、ついで1928年(昭和3)の第9回オリンピック・アムステルダム大会に初出場、続く1932年の第10回ロサンゼルス大会には、当時陸軍中尉の西竹一(にしたけいち)が名馬ウラヌス号に騎乗して大賞典障害飛越競技にみごと優勝した。この快挙の陰には、日本近代馬術の父といわれた遊佐幸平(ゆさこうへい)(1883―1966)の渾身(こんしん)の努力があったのである。しかし第二次世界大戦によって日本馬術界は大打撃を受け、国際馬術連盟の会員資格をも失ったが、1946年(昭和21)に至り日本馬術連盟の設立ならびに日本体育協会への加盟が認められ、1951年ようやく国際馬術連盟への復帰がかなえられた。以来、1952年のヘルシンキをはじめ各オリンピック大会に選手を送っている。[渡邉一郎]

世界における歴史

馬の家畜化は、紀元前4000年ころユーラシア大陸の草原地帯で始まったと考えられる。乗用に先だって、駄載・牽引(けんいん)の用役に供されたと推定されるが、その運搬力、機動力は戦闘力としても重用された。数々の英雄とその軍馬集団が一大帝国を築き、そしてまた別の騎馬民族が台頭するなど、興廃を繰り返してきた。
 馬を自由に操る馬術は、騎馬戦における武芸として発達してきたが、銜(はみ)・鞍・鐙などの馬具の発明もそれを助長した。最古の馬術書は、紀元前1400年ころにヒッタイトのキックリによって、5枚の粘土板に楔(くさび)形文字で書かれた。戦闘用に馬を調教し、飼養管理する内容である。前400年ころにギリシアのクセノフォンが書いた馬術書はそのほとんどが今日でも通用する内容で、馬が主人を信頼する召使いとなるよう調教した。ギリシア時代に続くローマ時代は、馬術の暗黒時代で著名な馬術家が出ていない。中世の騎士は、重い甲冑(かっちゅう)に身を固めていたので、当時の馬は負担に耐えるよう大型でずんぐりとしていた。その後火器の発達で重い甲冑は無用になり、戦術も転換が必要となった。馬術は貴族のたしなみとして、高度に洗練されたものになっていった。
 16世紀になって、イタリアのグリゾーネは馬術書を著し、ピニャテリはナポリに乗馬学校を設立した。続いて、フランスのプリュービネル、ゲリニエールなど、名馬術家が輩出し、ヨーロッパの高等馬術の伝統は、ウィーンのスペイン乗馬学校やフランスのソーミュール国立馬術学校に、現在も引き継がれている。一方、イタリアの騎兵大尉カプリーリFederico Caprilliは、障害飛越や野外騎乗に即した自然馬術方式を考案し、近代スポーツ馬術の祖となった。1921年には、国際馬術連盟が創立された。設立当初はベルギー、デンマーク、フランス、イタリア、日本、ノルウェー、スウェーデン、アメリカ合衆国の8か国であったが、2012年の時点で133の国と地域に達し、馬術競技のレベルは、第二次世界大戦後、目覚ましい向上を遂げ、国際競技も増えている。[新庄武彦]

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世界大百科事典内の馬術の言及

【近代五種競技】より

…馬術,フェンシング,水泳,射撃,ランニングという性質の異なった5種の競技を1日で行い,合計得点で順位を決めるスポーツ。
[歴史]
 古代オリンピック(前776‐後393)の競技種目の中に五種競技があり,第18回大会(前708)から実施された。…

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