外槙村(読み)とまきむら

日本歴史地名大系 「外槙村」の解説

外槙村
とまきむら

[現在地名]石川町 麦(むぎ)ノ内(うち)・筑前(ちくぜん)・柳作(やなぎさく)・国見(くにみ)・新屋敷(あらやしき)・外国見(そとくにみ)・曲(まがり)ノ内(うち)・王子平(おうじだいら)・原(はら)・梁瀬(やなせ)・沖(おき)ノ田輪(たわ)・成亀(なりかめ)・宝殿前(ほうでんまえ)・和久(わぐ)・西(にし)ノ又(また)・入山(いりやま)・下(しも)ノ内(うち)・外槙下(とまきしも)ノ内(うち)

蛇行しながら北流する社(やしろ)川東岸に位置し、同川沿いの一部が平地であるほかは阿武隈高地の丘陵からなる。対岸は新屋敷(あらやしき)村・沢井(さわい)村、北は中野(なかの)村。中世には東の内槙(うちまき)村とともに牧(まき)と称され、江戸時代初期に分村したらしい。字梁瀬に中世の梁瀬館跡がある。地内では字新屋敷の永和五年(一三七九)銘をもつものをはじめとして、一〇基の板碑が確認されている。寛永四年(一六二七)以降白河藩領、その後の領主変遷は高田(たかだ)町と同じ。白河古領村郷高帳に外槙村とみえ高七五二石余とあることなどから、白河藩による慶安検地の際に分村したとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報