日本歴史地名大系 「石川村」の解説
石川村
いしかわむら
石川村
いひちやーむら
石川村
いしかわむら
- 青森県:弘前市
- 石川村
建武元年(一三三四)六月日の曾我光高申状(斎藤・遠野南部文書)に次のようにある。
この「石河」は石川村をさすと思われ、また同年同月の曾我光高軍忠注文(遠野南部文書)によれば、同年五月二一日「石河合戦」があったことが知られる。また建武元年と推定される六月一二日の北畠顕家教書(同文書)に、石川楯を攻落したとある。これらのことから、当時石川は
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
- 東京都:八王子市
- 石川村
石川村
いしかわむら
大体において中世の
慶長検地郷村帳に高二五六五・〇八石「石川村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で三千六五一石余となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領。なお慶長検地郷村帳に「石川村之内波江村」とみえる
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
- 茨城県:水戸市
- 石川村
東茨城台地の北部に位置し、村内を石川川が東へ流れる。北は
応永一二年(一四〇五)の吉田郷等田地検注目録写(吉田薬王院文書)に「安貞二年
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
- 山形県:寒河江市
- 石川村
石川村
いしかわむら
- 奈良県:大和郡山市
- 石川村
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
元禄七年(一六九四)新検を改めている。本高一九〇石、平高五〇〇・六二石。当村の山は伊賀随一の松茸を産し、慶安元年(一六四八)では伊賀一国で五万三千六九七本の産高のうち、当村は実に三万九千四一本を藩へ貢納している(宗国史)。
石川村
いしかわむら
- 神奈川県:藤沢市
- 石川村
村の南部を
天正一九年以降旗本中根領。検地は寛永三年(一六二六)に実施されたと考えられ、同年四月の畑方名請帳(佐川文書)によると四五町四反余。延享二年(一七四五)には原地新田が神尾春英によって検地が行われた(「新田検地帳」佐川文書)。
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
- 茨城県:石岡市
- 石川村
霞ヶ浦の
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
石川村
いしかわむら
- 東京都:大田区
- 石川村
石川村
いしかわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報