外江村
とのえむら
[現在地名]境港市外江町・芝町・清水町
弓浜半島の北西端に位置し、北は境水道、西は中海に面する。地勢は砂地で平坦。江戸時代後期に東西二村に分村した。「出雲国風土記」島根郡の条に「戸江の
(中略)伯耆の郡内の夜見の嶋に相向かはむ間なり」と記されており、
跡は外江の対岸森山(現島根県美保関町)の古関付近に比定する説がある(美保関町誌)。戦国時代には水軍の重要拠点となっていたとみられる。天正二年(一五七四)と推定される九月二〇日の吉川元春書状(閥閲録)に井上但馬守の給地として「との江」がみえ、「との江」が水軍の将奈佐日本介の宿所とされたため井上但馬守には替地が与えられている。永禄八年(一五六五)八月一日、江尾城(現江府町)攻撃の援軍が美保関から淀江(現淀江町)へ渡海したとき大風に吹かれてもとの地点福浦(現美保関町)、堺・殿江へ吹返された記録もある(「森脇覚書」毛利文庫蔵)。「雲陽軍実記」には「戸の井」と表記されている。当地補岩寺蔵の永禄一〇年一一月吉日付阿弥陀如来台座銘には「勝田庄外江村」とみえ、当時は勝田庄内であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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