外磨屋町(読み)そととぎやまち

日本歴史地名大系 「外磨屋町」の解説

外磨屋町
そととぎやまち

[現在地名]高松市磨屋町とぎやまち紺屋町こんやまち

東は丸亀まるがめ町、西は一番いちばん丁。東西約二〇〇間、南北両側で約四〇間の職人町。西端には両側とも一軒武家屋敷があり、町家との境に木戸があった。武家屋敷のある西側一画は天保期(一八三〇―四四)まで比丘尼びくに町と称していたようだが(天保一五年城下図)、天保九年の御領分明細記では当町の俗称とされている。北は古新ふるじん町、南は南紺屋町。生駒氏時代屋敷割図に「ときや町」とあるのが町名の初見で、同図には外曲輪東部にも「ときや町」がみえ、享保年間(一七一六―三六)城下図は磨屋町と内磨屋町、天明年間(一七八一―八九)の城下図以後は外磨屋町と内磨屋町と区別するようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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