香川県中北部、瀬戸内海備讃(びさん)瀬戸に臨む市。塩飽(しわく)諸島の本島(ほんじま)、牛(うし)島、広島、手(て)島を含む。1899年(明治32)市制施行。1917年(大正6)六郷(ろくごう)村、1951年(昭和26)南村、1954年川西(かわにし)、本島、土器(どき)、郡家(ぐんげ)の4村と、1955年飯野(いいの)村の大部分、1958年垂水(たるみ)、広島の2村を編入。2005年(平成17)綾歌町(あやうたちょう)、飯山町(はんざんちょう)を合併。JR予讃(よさん)線、高松琴平電気鉄道琴平線、国道11号が通じ、東隣の坂出(さかいで)市には瀬戸中央自動車道の坂出インターチェンジ、西隣の善通寺(ぜんつうじ)市には高松自動車道の善通寺インターチェンジがある。岡山県の水島港、下津井(しもつい)港へのフェリー便があったが、瀬戸大橋の開通に伴い、廃止された。現在は丸亀港―牛島―本島、丸亀港―さぬき広島―小手島(おてしま)―手島へのフェリーがある。また、本島からは岡山県の児島(こじま)港へ客船が通じる。市域の中心部は讃岐(さぬき)平野の一部丸亀平野を占め、土器川、金倉川の三角州上にのる。平野には灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)が数多く分布する。また平野に飯野山(422メートル)や青ノ山(224メートル)の独立峰があるが、これらはビュートとよばれる侵食残丘である。
安山岩の岩頸(がんけい)である亀山山頂の丸亀城は、1602年(慶長7)高松藩主生駒親正(いこまちかまさ)(1526―1603)が西讃支配のため築いたもの。1641年(寛永18)山崎家治(いえはる)(1594―1648)が丸亀藩主として入り、1658年(万治1)以降は京極氏の治下となり明治に至った。江戸時代、丸亀港は金毘羅(こんぴら)参りの船の発着でにぎわった。琴平(ことひら)へ通じる丸亀街道にはいまも石灯籠(どうろう)や道標が残っている。明治以後、歩兵連隊が置かれ、県の出先機関も多く、1889年には香川県最初の鉄道が丸亀―多度津(たどつ)―琴平間に通じた。
江戸時代から日本一の生産を誇る団扇(うちわ)工業は現在でも全国の生産量の9割を占めており、「丸亀うちわ」は1997年に国の伝統的工芸品に指定された。1964年から地先海面を埋め立てて工業団地が造成され、造船、電機、化学などの工場が立地する。
国指定史跡に丸亀城跡と塩飽勤番(きんばん)所跡、国指定重要文化財に丸亀城の天守、東光寺の薬師如来坐像(にょらいざぞう)、正覚院の木造観音菩薩(かんのんぼさつ)などがあり、塩飽本島町笠島(かさしま)地区の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。塩飽諸島は瀬戸内海国立公園の一部。面積は111.83平方キロメートル、人口10万9513(2020)。
[坂口良昭]
『『新修丸亀市史』全5巻(1994~1996・丸亀市)』▽『『丸亀の文化財 第7版』(2000・丸亀市教育委員会)』
香川県中央部,瀬戸内海に面する市。2005年3月旧丸亀市と綾歌(あやうた)町,飯山(はんざん)町が合併して成立した。人口11万0473(2010)。
丸亀市南東部の旧町。旧綾歌郡所属。人口1万1603(2000)。三方を丘陵に囲まれ,北西縁を土器川が北流する。讃岐平野の一部をなし,古代の条里制遺構も残る。古くから溜池灌漑による米麦中心の農業地帯であったが,香川用水の通水により果樹,畜産,施設園芸などを取り入れた複合経営が行われている。アスパラガスは特産。中央部を高松琴平電鉄琴平線,国道32号線(琴平街道)が横断し,西部を国道438号線が縦貫する。丘陵地帯には快天山古墳をはじめ多くの古墳がある。1991年開園したテーマパーク,レオマワールド(2000年閉園。04年ニューレオマワールド開園)がある。
丸亀市中部の旧町。旧綾歌郡所属。人口1万6648(2000)。讃岐平野中部を占め,西端を土器川が,中央部を大束(だいそく)川が北流する。北東部には城山(きやま)(462m),北西部には讃岐富士と称される飯野山(422m)があり,ともに瀬戸内海国立公園の観光地。町名は飯野山にちなむ。坂出臨海工業地帯に隣接し,ベッドタウン化が著しく,県下有数の人口急増地域となっている。溜池灌漑による米,果樹,野菜の栽培,畜産を主とする都市近郊農業が盛んであり,特にモモの特産地として知られる。小物家具,精密機械,窯業,繊維などの中小工場も立地する。
執筆者:赤池 享一
丸亀市北西部の旧市で,市域に塩飽(しわく)諸島の大半を含む。1899年市制。人口8万0105(2000)。丸亀平野の中心を占め,条里制の遺構や条里制の施行を物語る地名が残っている。近世には丸亀藩の城下町,港町としてにぎわった。明治に入って丸亀連隊の駐屯地となり,さらに1889年には県下最初の鉄道(讃岐鉄道)が丸亀~多度津~琴平間に開通した。現在も西讃岐の商業・行政の中心地であるが,特に1970年代に埋立地の造成が進み,中堅工場が多数進出して工業都市の色彩が強い。江戸時代に藩の奨励で始まったうちわの生産は日本一を誇る。海岸沿いにJR予讃線が通る。
執筆者:坂口 良昭
讃岐国の城下町,瀬戸内海交通の要地。地名は1597年(慶長2)に生駒親正が讃岐西部の支配のために那珂郡亀山に支城を築き,これを丸亀城と称したのに始まる。一時廃城となったが,生駒氏改易後の1641年(寛永18)西讃岐に入封した山崎氏,次いで58年(万治1)京極氏が丸亀城に拠ったため城下町として発展した。北は備讃瀬戸に面し,背後に丸亀平野をひかえていた。城のまわりに武家屋敷があり,北の商人町は生駒時代からあった古町と,山崎時代に開かれた新町に分かれていた。町には戸銭と棒役(人夫役)が課せられた。1839年(天保10)の武士を除いた城下の人口は8563人であった。近世後期には丸亀藩領内では綿の生産がめざましく,城下の綿問屋に集められ大坂をはじめ各地へ積み出された。また丸亀は金毘羅参詣の上陸地としてにぎわっており,1832年には新たに金毘羅船の発着場として新堀湛甫(たんぽ)を築いた。1897年には人口は2万人を超え,讃岐西部の中心都市となった。
執筆者:木原 溥幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…律令制下の国府は阿野郡におかれ(現,坂出(さかいで)市府中町)大内,寒川,三木,山田,香川,阿野,鵜足,那珂(なか),多度,三野(みの),刈田(かりた)(のちに豊田(とよた))の11郡を管し,国分寺がその東(現,綾歌郡国分寺町)に建立された。条里制の遺構は現坂出市の綾川流域や丸亀平野に顕著にみとめられ,現在大川郡志度町の多和(たわ)文庫にある735年(天平7)弘福寺(ぐふくじ)領〈讃岐国山田郡田図〉は日本最古の方格地割図として名高い。なお《和名抄》には,讃岐国の田数として1万8600町歩余が記録されている。…
※「丸亀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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