多ノ郷村(読み)おおのごうむら

日本歴史地名大系 「多ノ郷村」の解説

多ノ郷村
おおのごうむら

[現在地名]須崎市多ノ郷・山手やまて町・大間西おおまにし町・大間本おおまほん町・大間東おおまひがし町・潮田しおた町・みどり町・西崎にしざき町・赤崎あかざき町・妙見みようけん

須崎湾奥北西に位置し、蟠蛇森ばんだがもりに発する御手洗みたらい(大間川)流域を中心に開けた平地の村。須崎湾の対岸しろ山の向いに飛地がある。「土佐州郡志」は「東限吾井郷村、西限上分村池ノ内、南限土崎、北限桑田山、東西三十町余南北三十町」と記し、村内小村として岩永いわなが鳥居木島とりいのきじま東川内ひがしごうち中之川内なかのこうち竹之鼻たけのはな宮之川内みやのこうち堂之奈路どうがなろ田野地たのじ石淵いしぶち坂本さかもと串浦くしのうらをあげる。田野坂を越えると半山はやま(現高岡郡葉山村)に至る。

村内賀茂かも神社にあった本地仏の寿永二年(一一八三)裏書(古文叢)に「高岡郡津野庄多野郷」と記されていたといわれ、北の吾井郷あいのごう村を中心に成立した京都下鴨神社領津野つの本庄に含まれた。康暦元年(一三七九)八月一日付の津野浄高代官職安堵状(蠧簡集拾遺)には片田治部左衛門尉が「津野本庄内多郷」の上司、代官職を安堵されたことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報