日本歴史地名大系 「多武峯門前町」の解説 多武峯門前町とうのみねもんぜんまち 奈良県:桜井市安倍・多武峯地区多武峯門前町[現在地名]桜井市大字八井内(やいない)・西口(にしぐち)・飯盛塚(いいもりづか)多武峯寺を中心とした門前町。天正一三年(一五八五)の豊臣秀長の下知状(談山神社文書)に<資料は省略されています>とみえ、また多武峯寺は文禄検地後に広瀬郡内で三千石の知行地を宛行われているが、慶長八年(一六〇三)徳川幕府も寺領を再確認し、<資料は省略されています>とあり、寺領は知行地と門前町それに寺中近辺(境内)の山林からなっていた。古くは両門前と称し、東口(ひがしぐち)(のちの八井内)、西口をさし、飯盛塚は荘園であった(談山神社文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by