日本歴史地名大系 「多比村」の解説 多比村たびむら 静岡県:沼津市旧駿東郡地区多比村[現在地名]沼津市多比江浦(えのうら)村の東に位置する。南は海(江浦湾)に面し、鷲頭(わしず)山と大平(おおひら)山の断崖が北から迫る狭い海岸部に集落がある。東は江間(えま)村(現伊豆長岡町)、江浦湾を挟んで南は口野(くちの)村。多比は多肥・多美・田飛とも書いた。中世には口野郷(口野五ヵ村)のうちで、地内には葛山氏の一族龍光院大円登雲の香花所(「駿河志料」など)といわれる龍雲(りゆううん)寺(龍雲庵、現臨済宗妙心寺派)があった。天文二一年(一五五二)四月二七日、葛山氏元は植松藤太郎に対して口野郷尾高(おだか)村の支配を藤太郎の父右京亮のときと変りなく「多比村同」にすることを認め、町田郷左衛門には「多比村之増五貫」など計一五貫文を宛行っている(「葛山氏元判物」植松文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by