日本歴史地名大系 「多気庄」の解説 多気庄たけのしよう 岡山県:上房郡賀陽町多気庄「和名抄」賀陽郡多気郷の郷名を継いだものか。吉備高原上の宇甘(うかい)川に沿った現竹荘(たけしよう)付近一帯と推定される。平治元年(一一五九)の宝荘厳院庄園注文案(東寺百合文書)に「多気保」とあり、領主は兵衛佐局で、月別兵士二人を貢進している。「尊勝寺便補」と添書があるから、本来は京都六勝寺の一、尊勝(そんしよう)寺領であった。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文(新熊野神社文書)に京都新熊野(いまくまの)社領として多気庄があり、国役を停止されている。寛喜三年(一二三一)には高野法印貞暁が領家と思われ、その遺領を西園寺実氏の子道勝に譲り、幕府より領掌が認められている(「吾妻鏡」同年六月二二日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by