多羅尾村
たらおむら
[現在地名]信楽町多羅尾
小川村の南方、大戸川の源流部に位置し、信楽山地に囲まれた山間の村。普通「たろう」と訓ぜられる。南は伊賀、西は山城と国境をなし、早くから街道・峠が開かれて、奈良から近江へ、あるいは京都から伊賀・伊勢へ抜ける間道(京街道)の要所として知られた。峠として伊賀上野へ抜ける御斎峠をはじめ、野殿越・島ヶ原越・押原越がある。中世は信楽庄に属し、東明寺(現京都府相楽郡笠置町)蔵の大般若経奥書に文和二年(一三五三)付で「信楽庄多羅尾郷」とみえるのが早い。近衛家領であった当地にはその庄官として多羅尾氏がおり、近衛政家の「後法興院記」にその一族の名と多羅尾館の名が散見される。また応仁二年(一四六八)九月二日伊勢から上京する足利義視が途中当地に寄ったことが知られる(同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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