日本歴史地名大系 「信楽庄」の解説
信楽庄
しがらきのしよう
信楽山地の西方、
平安時代末から鎌倉時代初期にかけての信楽庄は国境を越えて隣接する奈良東大寺領と激しい相論を展開した。保安四年(一一二三)九月一二日の明法博士勘状案(東大寺文書)によれば、天永三年(一一一二)内蔵寮が伊賀国阿拝郡内
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
信楽山地の西方、
平安時代末から鎌倉時代初期にかけての信楽庄は国境を越えて隣接する奈良東大寺領と激しい相論を展開した。保安四年(一一二三)九月一二日の明法博士勘状案(東大寺文書)によれば、天永三年(一一一二)内蔵寮が伊賀国阿拝郡内
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菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...