江戸後期の国学者。江戸・神田(かんだ)明神下の幕臣屋代佳房(よしふさ)の子。通称大郎(たろう)。号は輪池。塙保己一(はなわほきいち)の『群書類従』、柴野栗山(しばのりつざん)の『国鑑(くにかがみ)』の編集に協力したほか、幕命により『古今(ここん)要覧稿』を著し、また『寛政重修(かんせいちょうしゅう)諸家譜』などの編集にも従事した。該博な学識で知られる。ロシアへの幕府の返書を清書するなど、書家としても活躍した。天保(てんぽう)12年閏(うるう)正月18日没(嘉永(かえい)4年2月25日公儀に届出)。墓は東京都文京区白山(はくさん)の妙清寺に現存。多数の著作は、稿本のまま、国立国会図書館、静嘉堂(せいかどう)文庫、東洋文庫、国立公文書館、無窮会図書館などに伝わる。蔵書不忍(しのばず)文庫の多くは、死後、徳島藩阿波(あわ)国文庫に収められたが、1950年の火災により焼失した。
[梅谷文夫]
『『屋代弘賢』(『森銑三著作集7』所収・1971・中央公論社)』▽『星出為子著『屋代弘賢』(『文学遺跡巡礼 国学篇2』所収・1940・光葉会)』▽『大川茂雄・南茂樹編『国学者伝記集成』(1904・大日本図書/復刻版・1967・名著刊行会)』
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…組重は重詰料理のことである。文化年間(1804‐18)に屋代弘賢が全国各地に質問状を出して民俗を問い合わせた《諸国風俗問状》に〈組重の事,数の子田作(ごまめ)たたき牛房煮豆等通例,其外何様の品候哉〉という質問があり,当時すでに子孫繁栄,豊作,健康(まめ)を意味するめでたい食品として,かずのこ,ごまめ,黒豆を基本的な祝肴とする風習が全国的であったことをうかがわせる。 重詰の組み方は地方により家庭によって一様ではないが,四段重ねの重箱を使う場合の一例を挙げると次のようになる。…
…580巻。1821年(文政4)幕府の命により屋代弘賢(ひろかた)が中心となり,巻数およそ1000巻の予定で編集を進めたが,その死により未完成に終わる。刊本の国書刊行会本では巻一神祇・姓氏・時令,巻二地理・暦占・歳時・器財上,巻三器財下・冠服・装束・政事・雑芸,巻四草木上,巻五草木下,巻六人事・病痾・禽獣・虫介・魚介・飲食・菜蔬・雑の20部6巻にまとめられている。…
…他方,古典研究が盛んになると,日本の古典や歴史の世界を総合的にとらえようとする関心が高まり,18世紀中期に山岡浚明(まつあけ)の《類聚名物考》346巻が作られた。こうした関心は国学の発展を促したが,19世紀の前期には,屋代弘賢(ひろかた)が幕府の命を受けて《古今要覧稿》の編纂に着手した。この書は近世最大の百科事典で,内容もよく整っているが,弘賢の死により1000巻の計画は560巻で中絶した。…
…江戸中期の国学者で幕府の右筆(ゆうひつ)でもあった屋代弘賢(やしろひろかた)が全国各藩の儒者や知人あてに送った〈風俗問状〉に対する答書。中山太郎がこれらの答書を集成し,解題と校注を付して《諸国風俗問状答》として1942年に刊行している。…
※「屋代弘賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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