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屋代弘賢 やしろ ひろかた

美術人名辞典の解説

屋代弘賢

江戸後期の国学者。諱は虎、のち詮賢・弘賢・詮文、号は輪池。江戸生。国学を塙保己一に学ぶ。また書道を森尹祥に師事し、松平定信に認められて幕府右筆となり、『寛政重修諸家譜』『古今要覧』等の編集に携わる。一方和漢典籍の収集に努め、その蔵書を〈不忍文庫〉と称した。著書に『参考伊勢物語』『輪池叢書』等がある。天保12年(1841)歿、84才。

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百科事典マイペディアの解説

屋代弘賢【やしろひろかた】

江戸中・後期の国学者。父詮房は幕府御家人。初め詮虎,のちに詮文。号は輪池。江戸の人。国学を塙保己一に,和歌を冷泉為村に,儒学を山本北山に学ぶ。のち幕府祐筆となり,柴野栗山に従って奈良・京都の寺社を調査。
→関連項目狩谷【えき】斎寛政重修諸家譜和学講談所

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

屋代弘賢 やしろ-ひろかた

1758-1841 江戸時代中期-後期の国学者。
宝暦8年生まれ。幕臣。国学を塙保己一(はなわ-ほきいち),儒学を山本北山(ほくざん)にまなぶ。柴野栗山(しばの-りつざん)の「国鑑(くにかがみ)」や塙の「群書類従」の編集をたすける。寛政5年幕府の右筆となり,「寛政重修諸家譜」「古今要覧稿」の編集に従事。蔵書家で,上野不忍池(しのばずのいけ)池畔に不忍文庫をたてた。天保(てんぽう)12年閏(うるう)1月18日死去。84歳。江戸出身。初名は詮虎(あきとら),晩年に詮丈(あきたけ)。通称は大郎。号は輪池。

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世界大百科事典 第2版の解説

やしろひろかた【屋代弘賢】

1758‐1841(宝暦8‐天保12)
江戸中~後期の国学者。江戸の人。幕臣。通称太郎,号は輪池。幼年より書を学び幕府表右筆勘定格となる。考証・故実の学に精通し,能筆家としても著名。塙保己一(はなわほきいち)に従ってその事業を助け,和学講談所の会頭も勤めた。柴野栗山,成島司直とも親交を結んだ。蔵書5万巻を擁し上野不忍池畔に書庫3棟を設け,不忍文庫と称した。著書に《古今要覧稿》をはじめ《服制沿革考》《弘賢随筆》など多数。【南 啓治】

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大辞林 第三版の解説

やしろひろかた【屋代弘賢】

1758~1841) 江戸後期の和学者。江戸の人。通称は太郎、号は輪池りんち。和学を塙保己一はなわほきのいちに学ぶ。幕府の書役として柴野栗山に従い、のち右筆。塙保己一を助けて正続「群書類従」編纂へんさんに従事。蔵書家として著名。主著「古今要覧稿」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

屋代弘賢
やしろひろかた

[生]宝暦8(1758).江戸
[没]天保12(1841).閏1.18. 江戸
江戸時代後期の国学者。塙保己一の弟子。号は輪池。江戸幕府の右筆となり,『古今要覧稿』 (560巻,1821~42) の主編者となったほか,『群書類従』の編纂に師の保己一を助けた。おもな著書に『道の幸』 (1792) ,『参考伊勢物語』 (1817) などがある。なお非常な蔵書家であり,その蔵書は「不忍 (しのばず) 文庫」の名で知られているが,現在は散逸している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

屋代弘賢
やしろひろかた
(1758―1841)

江戸後期の国学者。江戸・神田(かんだ)明神下の幕臣屋代佳房(よしふさ)の子。通称大郎(たろう)。号は輪池。塙保己一(はなわほきいち)の『群書類従』、柴野栗山(しばのりつざん)の『国鑑(くにかがみ)』の編集に協力したほか、幕命により『古今(ここん)要覧稿』を著し、また『寛政重修(かんせいちょうしゅう)諸家譜』などの編集にも従事した。該博な学識で知られる。ロシアへの幕府の返書を清書するなど、書家としても活躍した。天保(てんぽう)12年閏(うるう)正月18日没(嘉永(かえい)4年2月25日公儀に届出)。墓は東京都文京区白山(はくさん)の妙清寺に現存。多数の著作は、稿本のまま、国立国会図書館、静嘉堂(せいかどう)文庫、東洋文庫、国立公文書館、無窮会図書館などに伝わる。蔵書不忍(しのばず)文庫の多くは、死後、徳島藩阿波(あわ)国文庫に収められたが、1950年の火災により焼失した。[梅谷文夫]
『『屋代弘賢』(『森銑三著作集7』所収・1971・中央公論社) ▽星出為子著『屋代弘賢』(『文学遺跡巡礼 国学篇2』所収・1940・光葉会) ▽大川茂雄・南茂樹編『国学者伝記集成』(1904・大日本図書/復刻版・1967・名著刊行会)』

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世界大百科事典内の屋代弘賢の言及

【おせち料理(御節料理)】より

…組重は重詰料理のことである。文化年間(1804‐18)に屋代弘賢が全国各地に質問状を出して民俗を問い合わせた《諸国風俗問状》に〈組重の事,数の子田作(ごまめ)たたき牛房煮豆等通例,其外何様の品候哉〉という質問があり,当時すでに子孫繁栄,豊作,健康(まめ)を意味するめでたい食品として,かずのこ,ごまめ,黒豆を基本的な祝肴とする風習が全国的であったことをうかがわせる。 重詰の組み方は地方により家庭によって一様ではないが,四段重ねの重箱を使う場合の一例を挙げると次のようになる。…

【古今要覧稿】より

…580巻。1821年(文政4)幕府の命により屋代弘賢(ひろかた)が中心となり,巻数およそ1000巻の予定で編集を進めたが,その死により未完成に終わる。刊本の国書刊行会本では巻一神祇・姓氏・時令,巻二地理・暦占・歳時・器財上,巻三器財下・冠服・装束・政事・雑芸,巻四草木上,巻五草木下,巻六人事・病痾・禽獣・虫介・魚介・飲食・菜蔬・雑の20部6巻にまとめられている。…

【百科事典】より

…他方,古典研究が盛んになると,日本の古典や歴史の世界を総合的にとらえようとする関心が高まり,18世紀中期に山岡浚明(まつあけ)の《類聚名物考》346巻が作られた。こうした関心は国学の発展を促したが,19世紀の前期には,屋代弘賢(ひろかた)が幕府の命を受けて《古今要覧稿》の編纂に着手した。この書は近世最大の百科事典で,内容もよく整っているが,弘賢の死により1000巻の計画は560巻で中絶した。…

【風俗問状答】より

…江戸中期の国学者で幕府の右筆(ゆうひつ)でもあった屋代弘賢(やしろひろかた)が全国各藩の儒者や知人あてに送った〈風俗問状〉に対する答書。中山太郎がこれらの答書を集成し,解題と校注を付して《諸国風俗問状答》として1942年に刊行している。…

※「屋代弘賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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