日本歴史地名大系 「多良木村」の解説 多良木村たらきむら 熊本県:球磨郡多良木町多良木村[現在地名]多良木町多良木球磨川上流の沖積平野にあり、東は湯前(ゆのまえ)村(現湯前町)、西は須恵(すえ)村(現須恵村)・免田(めんだ)村(現免田町)、南は奥野(おくの)村・久米(くめ)村、北は黒肥地(くろひじ)村に接する。鎌倉時代の初期に相良頼景が遠江国相良(さがら)庄(現静岡県榛原郡)から下向して以来、多良木には代々上相良氏が拠って周辺地域を支配した。建久八年(一一九七)閏六月日の肥後国球磨郡田数領主等目録写(相良家文書)に「多良木村百丁没官領 伊勢弥次良不知実名」とあり、もとは平家の所領であった。寛元元年(一二四三)一二月二三日の関東下知状(同文書)には「多良木内 古多良 竹脇 伊久佐上 東光寺以上四箇村」「併四箇村并田地四十町」とあり、多良木が小村の構成をとっていたことがわかる。南北朝期には、南朝方の拠点として鍋城に拠った上相良氏は、人吉(ひとよし)の下相良氏と対立し、幾度か合戦に及んだ。 多良木村たらきむら 岐阜県:武儀郡武儀町多良木村[現在地名]武儀町下之保(しものほ) 多良木(たらぎ)現武儀町の南端、津保(つぼ)川が大きく湾曲した地に位置し、南は神野(かみの)村(現関市)。多羅木とも記す(明治大学刑事博物館本元禄郷帳など)。文禄三年(一五九四)九月五日の下之保村山年貢折紙(森田文書)に「たらき村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by