慶長国絵図(読み)けいちようくにえず

日本歴史地名大系 「慶長国絵図」の解説

慶長国絵図
けいちようくにえず

原本 永青文庫(熊本大学附属図書館寄託)

解説 裏書に「肥後国絵図、弐枚之内」とだけあって作製年次を記していない。また図中のかなりの個所貼紙があるが、これは寛永一〇年の御国廻り上使の道順里程・休憩・宿泊場所を示したもので、内容は慶長年間の絵図である。村高は加藤氏時代の郷高を記すほか、天草郡は寺沢志摩守領とあり、慶長九年築いた富岡城がみえるほか、慶長一七年に破却した水俣宇土矢部の三城、元和元年一国一城令で破却した佐敷・関・内牧の三城を図示するところから、慶長九年以後同一七年までの内容を伝えるものである。村形は丸輪形で図示されている。球磨・天草郡の村にはこの絵図に初めて出る村も少なくない。郡付には郡の石高・田畑員数・物成高が朱で記載され、城郭はすべて景観描写である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「慶長国絵図」の意味・わかりやすい解説

慶長国絵図【けいちょうくにえず】

国絵図

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世界大百科事典(旧版)内の慶長国絵図の言及

【国絵図】より

…近世の豊臣政権,江戸幕府が諸大名らに命じて作成・提出させた一国単位の絵図。1591年(天正19)豊臣秀吉が禁裏に献納するという名目で,日本全国の国絵図と御前帳(検地帳)を諸大名らに命じて作成・提出させたことに始まる。それは日本全土を国郡制の枠組みによって掌握する手段であり,同時にきたるべき〈唐(から)入り(朝鮮侵略)〉に向けての国内総動員体制づくりの一環であった。〈諸国御前帳 駒井被請取候覚〉(《視聴草》第57冊)などによって,国絵図が実際に徴収されたことは確実だが,現在までのところこの天正の国絵図は発見されていない。…

※「慶長国絵図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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