常磐南部炭田(読み)じようばんなんぶたんでん

日本歴史地名大系 「常磐南部炭田」の解説

常磐南部炭田
じようばんなんぶたんでん

茨城県北部海岸地域から福島県の南部海岸地域にかけて常磐炭田があり、北茨城市、高萩市、多賀郡十王じゆうおう町にまたがる茨城県側の炭田を茨城炭田あるいは常磐南部炭田とよぶ。炭層は第三紀漸新世後期に形成され、瀝青炭亜瀝青炭褐炭などを産する。

この地方の人々が石炭を知るようになったのは一七世紀頃のことで、「ぶんどう岩」「くんどん岩」などとよんでいた。「松岡郡鑑秋山あきやま(現高萩市)の項に「享保三戌二月新湯辺ニぶんどう岩とて薪ニ成候岩有之珍敷品ニ候(中略)燃ル土なり」とあり、また「分銅岩」の字をあてている。「松岡地理志」同村の項には「燃土 其色黒クシテ炭ノ如シ里人クンドン岩ト云隣村山部ノ地ニモアリ是ヲ焼ハ臭シ其臭気獣ノ類甚タ嫌フト云」とある。「新編常陸国誌」は「石炭」と書いて「ヒイシ」「クンドウイワ」の訓を左右に付し、また「カラス石」ともいうと記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の常磐南部炭田の言及

【北茨城[市]】より

…平潟は棚倉藩の表玄関,東廻海運の中継港として栄え,大津は水戸藩一の漁港としてにぎわった。幕末から山麓部での石炭採掘が始まり,1897年日本鉄道海岸線(現,常磐線)の田端~平(たいら)間開通で炭鉱操業が急進し,常磐南部炭田(常磐炭田)の中核となった。最盛期には20に近い炭鉱が操業したが,エネルギー革命に伴う相次ぐ炭鉱閉山は,失業者の増加,商業機能の停滞などをもたらし,地域住民に深刻な打撃を与えた。…

※「常磐南部炭田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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