日本大百科全書(ニッポニカ) 「石城国」の意味・わかりやすい解説
石城国
いわきのくに
(1)大化前代、国造(くにのみやつこ)が置かれた国の一つ。現在の福島県いわき市、双葉郡にまたがる地域。『古事記』神武(じんむ)天皇条に神八井耳命(かんやいみみのみこと)は道奥(みちのおく)石城国造らの祖とあり、また『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』10の「国造本紀(こくぞうほんぎ)」には、建許侶命(たけころのみこと)を石城国造としたとある。しかし『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』によれば、常陸国多珂(たか)国造の国は、助河(すけがわ)(茨城県日立市)から苦麻(くま)(福島県双葉郡大熊町付近)までであったのが、653年(白雉4)にその北半を分割し石城評(こおり)を置いたとあって、すでに大化前代に石城国造を置いたとする『古事記』の説とは異なる。
(2)718年(養老2)5月陸奥(むつ)国から分割され、石背(いわせ)国とともに建置された律令(りつりょう)制下の国。石城、標葉(しねは)、行方(なめかた)、宇太(宇多)(うだ)、曰理(亘理)(わたり)の5郡と常陸国菊多郡からなる地域である。まもなく石背国ともども廃止されたが、その年月は不明で、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に両国名がのる720年(養老4)11月以降、陸奥国に新たに白河軍団が置かれたとされる728年(神亀5)4月以前であるといわれるが、一説には720、721年の蝦夷(えみし)の反乱に関連して724年(神亀1)ともいわれる。なお、1912年(大正1)から13年にかけて、この石城、石背両国建置をめぐって、喜田貞吉(きたさだきち)と高橋万次郎との間で活発な論争が展開されたことはよく知られる。
[誉田 宏]