日本歴史地名大系 「多野中村」の解説
多野中村
たのなかむら
太閤検地の石高は五〇〇石、耕地面積の比率は田七六パーセント、畑三四パーセントであったが、寛文検地では石高が一・一倍に増加し、田六四パーセント、畑三六パーセントと変化している。「墅截」による村柄は「上」、耕地は田・畑とも「上ノ中」、水掛りは「吉」である。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田八反二畝二一歩、畑四反七畝であり、百姓数六七人のうち本百姓二六人、半百姓二二人、四半百姓一八人、庄屋一人に分れている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報