多野中村(読み)たのなかむら

日本歴史地名大系 「多野中村」の解説

多野中村
たのなかむら

[現在地名]宇和町田野中たのなか

岩瀬いわせ川最上流域の村。北に大野おおの(七九七メートル)があり、南は平野ひらの村に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「田野中村 茅山有、小川有」と記される。「宇和旧記」はなか村、「墅截」は田野ノ中たののなか村と書く。

太閤検地石高は五〇〇石、耕地面積の比率は田七六パーセント、畑三四パーセントであったが、寛文検地では石高が一・一倍に増加し、田六四パーセント、畑三六パーセントと変化している。「墅截」による村柄は「上」、耕地は田・畑とも「上ノ中」、水掛りは「吉」である。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田八反二畝二一歩、畑四反七畝であり、百姓数六七人のうち本百姓二六人、半百姓二二人、四半百姓一八人、庄屋一人に分れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む