夜見村
よみむら
[現在地名]米子市夜見町
河崎村の西にあり、南は粟島村、西は富益村、北は美保湾に面する。南部を米川が南東から北西へ流れる。中世末までは大切戸と称する海峡の南端であったとも伝承される。当村の開発は夜見村荒神記(森家文書)によれば、延宝七年(一六七九)境村(現境港市)余子社神職森氏の次男森六郎右衛門守連が治郎右衛門・三右衛門・安右衛門・甚七の四人とともに当地に移住、田畑を開墾したとあり、初め境新田村と称していた。貞享四年(一六八七)の検地では村高七石余で、免二ツ(貞享五年「下札」森家文書)。元禄一五年(一七〇二)村号を請願し翌年から夜見村として年貢免状が交付され(宝永元年「下札」同文書)、森六郎右衛門は開発の賞二石六升を藩から与えられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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