日本歴史地名大系 「夜都岐神社」の解説 夜都岐神社やつぎじんじや 奈良県:天理市朝和地区乙木村夜都岐神社[現在地名]天理市乙木町宮山乙木(おとぎ)集落北端に鎮座。もと春日神社・乙木社と称し、武甕槌(たけみかづち)命・姫(ひめ)大神・経津主(ふつぬし)命・天児屋根(あめのこやね)命を祀る。旧村社。「延喜式」神名帳の山辺(やまべ)郡「夜都伎神社」を「大和志」は「在乙木村今称乙木大明神」と記す。口碑によると、本来、式内夜都伎神社は東方の十二神社で、同社は乙木村に属していたが、社地を竹(たけ)ノ内(うち)村(現天理市)三間塚(さぎづか)池と交換して竹ノ内領となったため、村域内にあった春日神社を夜都岐神社に改名したという。夜都岐は於都岐(乙木)の誤写か。鎮座地は興福寺大乗院および春日社領乙木荘で、当社も春日社との関係が深く、江戸末期まで、「蓮の御供」という神饌を春日社へ献じていた。春日若宮からは六〇年ごとに社殿・鳥居の下付があったと伝え、応永一三年(一四〇六)の式年造替の際には春日本社の第四殿を下付されている(春日大社文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by