朝日日本歴史人物事典 「大三輪長兵衛」の解説
大三輪長兵衛
生年:天保6.6.4(1835.6.29)
幕末明治期の大阪の実業家,政治家。李朝(朝鮮)政府のお雇い外国人をも勤めた。福岡,筥崎宮の神職大神嘉納の嗣子。嘉永4(1851)年に九州各地へ漫遊の旅に出て長崎に至り,翻然開国通商の理を悟って実業に進むことに決し,安政5(1858)年には大阪で商人の見習いに入り,北国問屋業(海運業)を始め,松前問屋を開業し,明治初年には同業者の中で有力者の地位に立った。明治10年代には,第五十八国立銀行や手形交換所の創設に努め,大阪の実業界で重きをなす一方,大阪府会,大阪市会議長なども務めた。また,明治24(1891)年8月,朝鮮政府の招聘で貨幣制度改革を進めようとしたが,実現には至らなかった。そののち,京釜線敷設権獲得交渉や日露戦争直前の「日韓議定書」調印を巡って日本政府の意向を背景に朝鮮政府と交渉を進める役割を演じた。<参考文献>沢田修二『大三輪長兵衛の生涯』,宮本又次「大三輪長兵衛」(『上方の研究』5号)
(高嶋雅明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報