日本歴史地名大系 「大仰城跡」の解説 大仰城跡おおのきじようあと 三重県:一志郡一志町大仰村大仰城跡[現在地名]一志町大仰字城山(しろやま)山上にあり、城主は小泉藤能で、真盛の父。伊勢国司北畠教具に仕え、「五鈴遺響」に「小倭七党各紀氏ヲ称セリ」と述べている。「勢州軍記」に「小倭一族七人衆」と記され、北畠国司当時の小倭(おやまと)在住の地侍として三日・満賀野・新・岡村・福田山・臼杵・吉懸・堀内・楠見・堀山・庄山・松岡・益田・馬場・重岡などの姓をあげている。小倭七郷は、西から入道垣内(にゆうどうがいと)・稲垣(いなかけ)・古市(ふるいち)・中(なか)ノ村・上(かみ)ノ村・佐田(さだ)(現白山町)、谷杣(たにぞま)(現久居市)、南出(みなみで)・岡(おか)村・大(おお)村・三(みつ)ヶ野(の)(現白山町)、大仰の一二郷村からなっており、七は多数の意で小倭七郷は大集落、小倭七党は多数の武士団の意と思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by