…6世紀の豪族。生没年不詳。金村の男。《日本書紀》によると,宣化2年,天皇は大連大伴金村に,その子磐(いわ)と狭手彦とを遣わし,新羅の進攻に対して任那を救援すべきことを命じ,磐は筑紫にあって国政をとり,狭手彦は渡海して任那を統治し,百済を救ったとある。また欽明23年には,大将軍として高句麗を討ち,王の宮殿に入って珍宝・美女等を得,天皇と大臣蘇我稲目とに献じたという。このうちことに欽明23年条の記事は,当時の朝鮮の状況からみて疑わしく,一本にいう欽明11年のこととしても,伝承としての誇張が考えられる。…
※「大伴磐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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