日本歴史地名大系 「大作村」の解説 大作村おおさくむら 千葉県:館山市大作村[現在地名]館山市山本(やまもと)山本村の北に位置し、集落は丘陵裾部に展開する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高八八石(うち田六三石余)、同一五年の里見家分限帳によると足軽小頭金井筑後の給知。正保郷帳では高八三石余(うち田六〇石余)で北条藩領。享保一二年(一七二七)の安房国村々助郷請帳(岩崎家文書)でも同藩領。天保村高帳では鶴牧藩領。 大作村おおさくむら 千葉県:市原市大作村[現在地名]市原市大作葉地(はじ)村の東に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一五三石。元和三年(一六一七)旗本永井領であった大作村内一五三石余が旗本天羽領とされた(譜牒余録)。寛永一〇年(一六三三)の龍穏寺本末帳に大作村常泉(じようせん)寺とみえるが未詳。正保国絵図でも同高で、幕末までほぼ同様。寛文四年(一六六四)の井上政清領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、井上氏領分はのち高岡藩領となり、幕末に至る。 大作村おおさくむら 千葉県:市原市大作村[現在地名]市原市山口(やまぐち)山口村の東にあり、養老(ようろう)川が流れる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高六八石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高六五石余で家数一八、旗本河野領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by