大分八幡神社(読み)だいぶはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「大分八幡神社」の解説

大分八幡神社
だいぶはちまんじんじや

[現在地名]行橋市下稗田

長峡ながお川の北岸に鎮座する。祭神は誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命・比女大神・大山咋命。旧郷社。社伝によれば初め日吉神社と称し、京都みやこ吉田よしだ庄九ヵ村の産土神であったが、のちうまたけ(現犀川町)城主新田義氏が筑前大分八幡宮(現筑穂町)を合祀し、貞治二年(一三六三)から大分八幡宮が本殿、日吉神社は摂社となる。応永年中(一三九四―一四二八)兵火にかかるが、その後馬ヶ岳城主長野三河守、仲原土佐守の両将によって天正八年(一五八〇)社殿が再建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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