日本大百科全書(ニッポニカ) 「大口周魚」の意味・わかりやすい解説
大口周魚
おおぐちしゅうぎょ
(1864―1920)
歌人。名古屋生まれ。名は鯛二(たいじ)。周魚はその号で、ほかに旅師、多比之(たひし)、櫧園(しょえん)、白檮子(はくじゅし)などとも号し、家を白檮舎(しらかしのや)と称した。和歌を伊東祐命(すけのぶ)、高崎正風(まさかぜ)に学ぶ。1889年(明治22)正風の推挙により宮内省御歌所(おうたどころ)に勤務。御歌所録事を経て、1906年(明治39)御歌所寄人(よりうど)となる。かたわら、千種会(ちくさかい)をおこして和歌の普及に努めた。16年(大正5)明治天皇・昭憲皇太后御集の編纂(へんさん)に従事。客観的な叙景歌が多く、家集『大口鯛二翁集』がある。また、和様書家、古筆研究家としても知られ、手鑑(てかがみ)『月台(げつだい)』(東京国立博物館)の制作、『本願寺本三十六人家集』(西本願寺)の発見など、その業績は評価されるべきものである。
[松原 茂]
『古谷稔著『手鑑月臺』(1974・木耳社)』