日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和六県」の意味・わかりやすい解説
大和六県
やまとのむつのあがた
大化前代から大和国(奈良県)に散在した天皇の直轄地の総称。『延喜式(えんぎしき)』祈年祭(としごいのまつり)の祝詞(のりと)によれば、高市(たけち)、葛木(かずらき)、十市(とおち)、志貴(しき)、山辺(やまのべ)、曽布(そう)の六県。624年(推古天皇32)大臣(おおおみ)蘇我馬子(そがのうまこ)は葛城県を請求したが、推古(すいこ)女帝がこれを聞き入れなかったこと、645年(大化1)改新政治の手始めに東国に国司を遣わすと同時に、大和の六県にも使者を派遣して戸籍をつくり田畝(でんぽ)を調べさせていること、などから考えれば、六県に対する天皇の関心や意識は強烈であった。六県は大和盆地の山寄り一帯に分布していたとみられるが、すべてをあわせてもそれほど広大なものではなく、天皇の菜園として宗教的意義を担うものであったと思われる。
[黛 弘道]