大和浜湊(読み)やまとはまみなと

日本歴史地名大系 「大和浜湊」の解説

大和浜湊
やまとはまみなと

[現在地名]大和村大和浜

大和浜の大屋子家は琉球と往来していたと伝え、当地の港津の機能はすでに琉球時代にあったと考えられるが、大和政権による八世紀の遣唐使船の寄港地となった可能性があるなどさらにさかのぼるものと想定される。琉球渡海日々記(旧記雑録)によれば、慶長一四年(一六〇九)三月の島津氏の進攻に際して、副将の肝付兼篤や国分武頭の伊集院久元らの一行は三月七日に大島の深江ふかえ(現龍郷町)に近い「かたん」(現笠利町)を押えたあと、一二日に同浦から出航して「大島之内やまとばゝと申湊」に入っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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