阿久根郷(読み)あくねごう

日本歴史地名大系 「阿久根郷」の解説

阿久根郷
あくねごう

出水いずみ郡の南端部を占めた鹿児島藩の外城で、同藩直轄領。郷域はおおむね中世莫禰あくね院の領域を継承し、北西出水郷北東野田のだ郷・薩摩郡とう郷、南は高城たき郡高城郷(現川内市)に接していた。西は南北七里余にわたって海(東シナ海)に面し、海岸線に沿うように出水筋が縦断する。莫根ノ郷などとも書いた(寛文四年郡村高辻帳)。郷の成立は慶長四年(一五九九)のことと考えられ(阿久根町郷土誌・出水郷土誌)、初代地頭は同年に補任された宮原左近将監景晴。同年正月五日の豊臣氏五奉行連署知行目録(旧記雑録)では波留はる村・高松たかまつ村など三〇ヵ村で構成されていたが、前掲郡村高辻帳では阿久根村のみの一郷一村となっている。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の村数八、前掲郡村高辻帳の阿久根村はのちに八ヵ村に分村した。「三州御治世要覧」では波留・赤瀬川あかせがわ鶴川内つるがわち山下やました西目にしめ大川おおかわ折口おりぐち多田ただの村名がみえる。麓は当初山下村に置かれたが、阿久根湊出水筋が整備されるに伴って、元禄三年(一六九〇)に波留村の小牟田こむたに移転した(「阿久根町郷土誌」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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