大和町代地(読み)やまとちようだいち

日本歴史地名大系 「大和町代地」の解説

大和町代地
やまとちようだいち

[現在地名]千代田区岩本町いわもとちよう二丁目・東神田ひがしかんだ一丁目

元岩井もといわい町の北に位置する町で、藍染あいぞめ川に沿った両側町。東は豊島としま町二丁目、西は北の神田佐久間かんださくま町四丁目代地から南の同元柳原もとやなぎはら六丁目代地まで、北は元誓願寺前もとせいがんじまえと称された常陸谷田部藩細川家上屋敷。西側の元柳原六丁目代地の北続き(現岩本町二丁目)にも町地がある。当町一帯は江戸時代前期以来の武家地で、明暦三年(一六五七)新添江戸之図には玄蕃下屋敷とみえる。なお寛永江戸図でも同様であるが、北側には細川玄蕃とあるので、常陸谷田部藩細川家の下屋敷にあたる。沿革図書によると、延宝年間(一六七三―八一)からは同家と稲葉七左衛門が拝領している。


大和町代地
やまとちようだいち

[現在地名]千代田区岩本町いわもとちよう二丁目

町会所付まちがいしよつき請負地の北に位置する代地で、九道くどう橋から北に向かう道筋神田紺屋かんだこんや町の道筋が交差した所にある片側町。西は道有どうゆう屋敷代地、北は武家地、東は岩本町。当地一帯は江戸時代前期以来の武家地と寺地で、明暦三年(一六五七)の新添江戸之図によると、道有屋敷から当町、岩本町にかけての地域は松前民部・濃塚兵部の拝領屋敷と日輪寺・薬師など。なお寛永江戸図には両家と神田薬師・遊行道場などがみえる。神田薬師堂は慶長一〇年(一六〇五)に、のちの徳川家光の無事誕生に霊験ありとして徳川秀忠夫人が建立。天和二年(一六八二)のお七火事で類焼したものか、同三年上野広小路うえのひろこうじ(現台東区)に移転した(「江戸砂子」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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