大塚堰(読み)おおつかせき

日本歴史地名大系 「大塚堰」の解説

大塚堰
おおつかせき

しら川の水を西置賜郡飯豊いいで添川そえかわ丸山まるやま付近で揚水し、眺山ながめやま丘陵北端を迂回し、南下して大塚の新井あらいを経て、いぬ川左岸の東大塚の門之目かどのめに達する用水堰。米沢藩士小幡善四郎は大塚村の他屋を設けるに際し、従来より用いてきた犬川の用水だけでは不十分だったので、大塚村の土豪寒河江源兵衛と協力し、慶長一四年(一六〇九)工事に着手し、同一八年完成させた(「青木源内記録」青木文書)。大塚堰の造成により灌漑用水が増し、大塚村のうち菊田谷地きくたやち檜谷地ひのきやち岡原おかはらやました西野にしの・どんだり原などの萱野の開発が計画され、元和四年(一六一八)から同六年までに五〇〇石余の新田が開かれ、新百姓二〇人が耕作に当たり、どんだり町と名付けられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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