日本歴史地名大系 「大多新田村」の解説 大多新田村おおたしんでんむら 山形県:酒田市旧平田郷地区大多新田村[現在地名]酒田市大多新田・北新橋(きたしんばし)・新橋(しんばし)・曙町(あけぼのちよう)・旭新町(あさひしんまち)・富士見町(ふじみちよう)古荒新田(こあらしんでん)村の北東にある。大田新田村とも記した。万治二年(一六五九)大田与右衛門は南口(みなみぐち)村(現東田川郡余目町)梅木伝兵衛とともに、最上川下流左岸に高一六一石余を開発して遊摺部(ゆするべ)村を創立したが、最上川の洪水で多くの田畑が崩壊したため、寛文八年(一六六八)村高のうち九〇石、家一八軒が漆曾根(うるしそね)谷地に切替えを命じられ、与右衛門が中心となり新田を開き、大多新田とした(「申状」遊摺部区有文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by