改訂新版 世界大百科事典 「大宝寺氏」の意味・わかりやすい解説
大宝寺氏 (だいほうじうじ)
出羽国庄内地方の中世の豪族。鎌倉幕府草創期の官僚武藤頼平の後裔。1189年(文治5)頼平の長子資頼が長講堂領出羽国大泉庄の地頭に補任,ついで次男氏平が地頭職を継承し,大泉庄を名字の地とする出羽国御家人大泉氏となり,南北朝期に大泉長盛が大泉庄大宝寺(大梵寺,大梵字,大法寺)の地に城郭を構え,大宝寺氏を称した,という。以後も大泉氏・武藤氏を併称。室町初期に大泉庄地頭上杉氏の配下にあったが,やがて京都扶持衆(ふちしゆう)の地位を得て,出羽国有力国人の位置を保った。1532年(天文1)晴時は一族砂越氏らと対立し,尾浦城に本拠を移す。その後,勢力を回復した義氏は横死し,87年(天正15)義氏の弟義興も自刃して,武藤系大宝寺氏は滅亡した。ついで庄内を領有した越後上杉氏の家臣本庄繁長の次男義勝も大宝寺氏を名のったが,92年(文禄1)庄内一揆鎮圧の失敗により,領地を没収され,大宝寺氏の名跡は絶えた。
執筆者:遠藤 巌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報