日本歴史地名大系 「大寺城跡」の解説 大寺城跡おおでらじようあと 福島県:石川郡玉川村南須釜村大寺城跡[現在地名]玉川村南須釜 舘坂南須釜(みなみすがま)集落西部の小丘陵に立地する山城跡。北東側に都々古別(つつこわけ)神社、南側に東福(とうふく)寺がある。承保元年(一〇七四)三蘆(みよし)城(現石川町)城主石川有光は炭釜の鴫(すがまのしぎ)山に城を築き、藤田(ふじた)城(現石川町)にいた長子光祐の居城としたという。光祐の当時の所領は南須釜・北須釜・吉(よし)・山小屋(やまごや)・中(なか)・岩法寺(がんぽうじ)・竜崎(たつざき)、中野(なかの)・塩沢(しおざわ)(現石川町)、安積(あさか)郡広戸(ひろと)(現天栄村など)、および都々古別神社領の小高(おだか)、神田(かんた)(現矢吹町)といわれ(川辺八幡神社文書)、城は藤田鴫城とよばれた。文安三年(一四四六)安芸守光義が藤田郷中野から東福寺と薬師堂を須釜に移して大寺氏を名乗り、同寺の所在にちなんでこの地を大寺村と称し、城名も藤田鴫城から大寺城と改称した(玉川村史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報