大将野庄(読み)たいしようののしよう

日本歴史地名大系 「大将野庄」の解説

大将野庄
たいしようののしよう

円山まるやま川左岸、現野々庄ののしよう一帯にあった庄園。畠庄ともいう。仁安二年(一一六七)以前の八月九日付の但馬守藤原親□書状(陽明文庫蔵兵範記仁安二年秋巻裏文書)に「大将野御庄解事」とみえ、在庁官人との間に何事か相論があり、平安末期には成立していた。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「大将野庄 五拾七町七反百六十分」とみえ、「畠庄」「宇治安楽院領」「領家円満院宮」「地頭前左大将家御後室」の注記がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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