大屋館跡(読み)おおやだてあと

日本歴史地名大系 「大屋館跡」の解説

大屋館跡
おおやだてあと

[現在地名]横手市大屋新町字鬼嵐

鬼嵐おにあらしの北から、東に分れる道を五〇〇メートルぐらい入ると墓場があり、その後方山上(二三五メートル)にある。館の後方東側は奥羽連山、前方西側は遠くまで見渡せる。小野寺氏堀江系図(横手郷土史資料)によれば、横手城主小野寺泰道の三男道寿が寛正六年(一四六五)築造、その後、小野寺宗家の家臣日野備中守が入る。角間川かくまがわ(現大曲市)の日野氏由緒書には、日野但馬が「大谷、餅田、寺内ヲ知行」とあって、大屋新町おおやしんまち村・新藤柳田しんどうやなぎだ村・大屋寺内おおやてらうち村の三ヵ村が館の主の支配を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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