大山朝常(読み)オオヤマ チョウジョウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大山朝常」の解説

大山 朝常
オオヤマ チョウジョウ


肩書
元・コザ市長,元・琉球政府立法院議員

生年月日
明治34年12月25日

出生地
沖縄県中頭郡越来村(現・沖縄市)

出身地
沖縄県沖縄市山里

学歴
沖縄県立師範学校〔大正14年〕卒

経歴
教職につき、昭和18年から越来村立青年学校校長。戦後米軍の収容所内で田井等市議員を務める。教職復帰後には実業高校校長などを経て、コザ地区教育長に就任。25年の全琉群島議員選挙に立候補したのを機に行政の世界に入り、沖縄社会大衆党創立メンバーの一人となる。29年琉球立法院議員(現・沖縄県議)に当選、2期務め、33年コザ市(現・沖縄市)市長に就任。以後4期をつとめ、この間、市長としてコザ暴動などを経験。革新系首長の代表的存在で沖縄復帰運動を推進した。49年3月31日辞任。同年沖縄市社会福祉協議会長、沖縄国際大学理事。のち沖縄国立国際海洋総合大学創立運動常任理事世話人となる。著書に「大山朝常のあしあと」「越来美里の先人達」「愛ひとすじに―大山光伝」「沖縄独立宣言―ヤマトは帰るべき『祖国』ではなかった」など。

受賞
沖縄タイムス賞〔昭和49年〕 琉球新報賞〔平成4年〕

趣味
晴耕雨読

没年月日
平成11年11月24日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大山朝常」の解説

大山 朝常
オオヤマ チョウジョウ

昭和・平成期の政治家 元・コザ市長;元・琉球政府立法院議員。



生年
明治34(1901)年12月25日

没年
平成11(1999)年11月24日

出生地
沖縄県中頭郡越来村(現・沖縄市)

出身地
沖縄県沖縄市山里

学歴〔年〕
沖縄県立師範学校〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
沖縄タイムス賞〔昭和49年〕,琉球新報賞〔平成4年〕

経歴
教職につき、昭和18年から越来村立青年学校校長。戦後、米軍の収容所内で田井等市議員を務める。教職復帰後には実業高校校長などを経て、コザ地区教育長に就任。25年の全琉群島議員選挙に立候補したのを機に行政の世界に入り、沖縄社会大衆党創立メンバーの一人となる。29年琉球立法院議員(現・沖縄県議)に当選、2期務め、33年コザ市(現・沖縄市)市長に就任。以後4期をつとめ、この間、市長としてコザ暴動などを経験。革新系首長の代表的存在で沖縄復帰運動を推進した。49年3月31日辞任。同年沖縄市社会福祉協議会長、沖縄国際大学理事。のち沖縄国立国際海洋総合大学創立運動常任理事世話人となる。著書に「大山朝常のあしあと」「越来美里の先人達」「愛ひとすじに―大山光伝」「沖縄独立宣言―ヤマトは帰るべき『祖国』ではなかった」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山朝常」の解説

大山朝常 おおやま-ちょうじょう

1901-1999 昭和後期-平成時代の政治家。
明治34年12月25日生まれ。沖縄師範を卒業し教職につく。戦後,琉球立法院議員などをへて,昭和33年コザ市(沖縄市)市長に当選し,4期16年つとめる。革新系首長として沖縄の祖国復帰運動で中心的役割をはたした。平成11年11月24日死去。97歳。沖縄県出身。著作に「沖縄独立宣言」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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